名前の由来と思考の癖

子どもの名前については元々「“ひろみ”にしよう」と話し合っていました。

でも漢字は決めておらず、最後まで悩みに悩んでいました。

 


夫も私も「海」が大好きなので、「海」という漢字は入れたかったのですが、字画的に苗字と「海」の相性が悪かったので、他の漢字を探し続けていました。

 


字画で人生が決まるなんて事はない!とは思っていましたが、少しでも良い名前にしてあげたいという気持ちはなくならず、とにかく調べ続け…。

何時間もかけてやっと見つけた字画の良い名前が「寛生(ひろみ)」でした。

 

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お七夜の日に書いた命名書)


私は昨日のブログに

「私は人間が大好きな人間不信だ」

という、よく分からない事を書きました(笑)

 


自分でもよく分からないのですが、私は人と話したり何かをするのは大好きなのに、

 


「この人、本当はどんな気持ちなんだろう。」

「この人は、果たして本音で話してくれているのだろうか。」

「この人、本当は私の事をどう思っているのだろうか。」

 


という風に、疑り深く考えてしまう癖があります。

これは子どもの頃に習慣化してしまった「癖」で、大人になって多少マシになったものの、今でも自分を苦しめる事があります。

 

 

 

子どもの頃、本当に不器用で自信がなかった私は、傷つく事が多く、信じていたものに裏切られてしまう経験が多々ありました。

今から考えると自分に原因があることも多かったように思いますが、その頃から

 


「どうしたら怒られないだろう」

「どうしたら嫌われないだろう」

 


と考え、人の顔や声色を伺う癖がついてしまいました。

 


その思考の癖は、成長と共に少しずつ器用になっていく事で、良い方向に活かすこともできました。

例えば、周りの様子を注意深く観察する癖により、よく動けると先輩や上司に“気がきく”と言われる事が多くなりましたし、前よりも人の気持ちを汲み取った上で動く事が上手になりました。

でもその反対に、人の行動や言葉をネガティブに捉えてしまう事もあり、心労が絶えませんでした。

 


そんな時、いつも私の心を救ってくれたのは心から信じられる!と思える親友や家族、今の夫の存在でした。心から信じられる人達と楽しい時間を過ごし、心に余裕が出てくると、次々と浮かんでくる自分のネガティブな思考についても、

 


「自分は考えすぎだ。取り越し苦労だ。」

 


と切り捨てる事ができました。

 

 

 

 


…と、こんな“思考の癖”がある私なので、息子の名前についた「寛」という字には憧れもあります。

 

 

 

心に余裕をもつ。寛大な心で生きていく。

周りと調和しながら、堂々と自分の道を歩んでいく。

息子にはそんなおおらかな人になり、幸せな人生を送ってほしい。

 

 

 

漢字を決めてからではありましたが、そんな気持ちを持つようになりました。

だからこれが、隠れた名前の由来です。

 


息子に贈った初めてのプレゼント。

気に入ってもらえたら嬉しいです。